沿革

米山化学工業の歩み

創業者水木幸次郎

明治43 年(1910)春、満17~18 歳の頃、故郷の富山県西砺波郡東石黒村桐木(現 南砺市桐木)から上阪。植田製薬(中津)に奉公。松野製薬所(豊崎)に移り、硫酸・硝酸を精製。後に現「米山化学工業」の前身、「米山薬化学工場」を設立。

社章薬甲印

同マークの由来については不明であるが、薬のメッカ(大阪・道修町)にある神農さん『少彦名神社』の祭礼の際、疫病除けとして頒与する五枚笹に付けた張子の虎の腹にある「丸薬」の印をヒントに薬甲印が誕生したものと思われる。

大正 1912年~1926年

大正7年 (1918)
西成郡海老江三の坪(のち、福島区海老江新町1番地 現、大開)に米山長司氏と共同経営にて「米山薬化学工場」を設立
硫酸・硝酸・塩酸の精製、アンモニア水、洗ソーダ、苛性ソーダなど製造販売開始

昭和 1926年~1989年

昭和4年(1929)
共同経営者 米山長司氏逝去 水木幸次郎個人経営に
昭和7年(1932)

「合名会社米山薬化学工場」設立法人化。

※故人となった米山長司氏の恩義をいつまでも忘れず、
常に初心に帰って仕事に取り組んでいくため、米山の名を踏襲。

昭和21年(1946)
医薬品の販売を目的に「水木製薬株式会社」設立
取締役社長に水木幸次郎就任
昭和23年(1948)
「水木製薬株式会社」を「米山化学工業株式会社」に社名変更
代表取締役社長に水木幸次郎就任
昭和24年(1949)
「合名会社米山薬化学工場」と「米山化学工業株式会社」が合併
称号「米山化学工業株式会社」
代表取締役社長に水木幸次郎就任
昭和27年(1952)
代表取締役社長に水木義治就任
昭和29年(1954)
名古屋出張所開設、東海・中部・北陸地域の市場拡販
昭和31年(1956)
東京出張所(現・東京営業所)開設、関東地域の市場拡販
昭和33年(1958)
日本工業規格による有機試薬・無機試薬・JIS表示工場の許可を受け分析用検査試薬として業界に貢献
昭和37年(1962)
関東市場拡販に伴い栃木県足利市野田町に足利工場を創設
リン酸ナトリウム・リン酸アンモニウムの生産開始
昭和38年(1963)
北浜営業所(現・大阪営業所)開設、関西地区の拡充と中国・四国・九州地域の市場拡販
足利工場 ABC消火薬剤の生産を開始
昭和41年(1966)
足利工場 酢酸アンモニウムの生産開始
昭和42年(1967)
「吹田化成工業株式会社」設立
昭和48年(1973)
本社・大阪営業所を大阪市北区西天満5丁目に移転、
同時に大阪工場を大阪府交野市幾野6丁目に移転
昭和49年(1974)
代表取締役社長に水木幸一就任
昭和54年(1979)
大阪工場 食品添加物及び高純度試薬の生産設備増設
昭和62年(1987)
足利営業所開設、北関東・信越地域の市場拡販
昭和63年(1988)
足利工場 大型自動連続晶析プラント稼動開始

合名会社設立当初

昭和30年代前期の米山化学工業
(福島区海老江)

昭和57年(1982)
大阪工場 リン酸塩プラント

昭和63年(1988)
足利工場 大型自動連続晶析プラント

平成 1989年~2019年

平成6年(1994)
足利工場 有機酸アンモニウムの生産設備増設
大阪工場 有機酸塩類の生産開始
平成9年(1997)
代表取締役社長に水木義昭就任
平成10年(1998)
足利工場 晶析プラント完成、有機酸アンモニウム塩類を増産
平成11年(1999)
新商品 凍結防止剤『メルロード』販売開始
平成13年(2001)
ISO9001認証取得(全事業所)
平成13年(2001)
代表取締役社長に水木直英就任
平成15年(2003)
新商品 底質改善剤『ロスピー』販売開始
平成18年(2006)
中国江蘇省常熟市に「常熟米山化学工業有限公司」を設立
平成22年(2010)
足利工場 水質汚濁防止法に基づく排水処理設備貯槽新設
以降、大阪工場を含め環境対策強化
平成27年(2015)
大阪工場 高純度強制晶析設備新パワーニーダー完成
平成28年(2016)
大阪工場 少量多品種製造
接続・選択可能な晶析設備CSCC完成
平成30年(2018)
創業100周年
平成30年(2018)
名古屋営業所・営業開発室を新設

足利工場 アンモニア貯蔵タンク

平成28年(2016)
大阪工場 少量多品種製造設備CSCC

令和 2019年~

令和元年(2019)
名古屋営業所 名古屋市中区に事務所開設
令和3年(2021)
経営企画部を新設
令和3年(2021)
代表取締役社長に水木康平就任
令和4年(2022)
営業部を第一グループ、第二グループ、営業開発室に再編
令和6年(2024)
営業開発室を独立し、未来創造室に改編
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