明治43 年(1910)春、満17~18 歳の頃、故郷の富山県西砺波郡東石黒村桐木(現 南砺市桐木)から上阪。植田製薬(中津)に奉公。松野製薬所(豊崎)に移り、硫酸・硝酸を精製。後に現「米山化学工業」の前身、「米山薬化学工場」を設立。
同マークの由来については不明であるが、薬のメッカ(大阪・道修町)にある神農さん『少彦名神社』の祭礼の際、疫病除けとして頒与する五枚笹に付けた張子の虎の腹にある「丸薬」の印をヒントに薬甲印が誕生したものと思われる。
「合名会社米山薬化学工場」設立法人化。
※故人となった米山長司氏の恩義をいつまでも忘れず、
常に初心に帰って仕事に取り組んでいくため、米山の名を踏襲。
合名会社設立当初
昭和30年代前期の米山化学工業
(福島区海老江)
昭和57年(1982)
大阪工場 リン酸塩プラント
昭和63年(1988)
足利工場 大型自動連続晶析プラント
足利工場 アンモニア貯蔵タンク
平成28年(2016)
大阪工場 少量多品種製造設備CSCC